関東から京都へ帰洛された親鸞聖人は、各地で念仏の教えを広められ、三河では、 熱心な門徒たちにより、平田道場・赤渋道場・和田道場など多くの念仏道場が出来上
がりました。 続く尾張でも、瀬部七門徒と呼ばれる人々が活躍して、初期の念仏道場を形成したようです。 瀬部七門徒の寺の一つの運善寺には、入信房の木像があります。
寺伝によりますと、座像の入信房は、関東二十四輩十六番・野口の寿命寺の開基, 入信としています。入信房は、親鸞聖人御帰洛の後、聖人に念仏の教えを尋ねるため、上洛されたといいます。ある時、入信房が、上洛する途中、大津にて同宿した、七人の商人の
横で、熱心に念仏を称えていました。商人たちは、その熱心さにわけを尋ねると,
「親鸞聖人より他力の念仏を授かり、称えている。」と答えました。その後、七人は、 入信とともに京にいき、親鸞聖人に会ってみると、たちどころに真宗念仏に目覚め、
門徒として、道場を開く身になったといいます。 入信が亡くなった後、親鸞聖人より、入信の木像を授かったのが木像の始まりといわれます。ところで、入信房と言えば、
二十四輩十八番大曽根の 常福寺の開基も同名です。常福寺の寺伝では、開基の入信房は、尾張の日比野の運善寺にて往生したとしています。 二人の偉大な高弟が、この運善寺で結びいています。
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